令和6年7月24日(水)に、令和6年度北区中央福祉区民生委員児童委員協議会の視察研修を実施しました。今回の視察研修では、北区中央福祉区から民生委員20名が参加し、岡山市北区三和(みと)にある藤井靜一ゆかりの地を訪れ、民生委員制度の生みの親の一人となった藤井氏の功績を学びました。(事務局)
藤井靜一ゆかりの地 北区三和(安部倉)を訪ねて
今回の視察研修前に拙宅向かいに住む97歳安部倉出身T子さんから、藤井靜一氏について尋ねたところ、子どもの頃にいろんなことを教えてもらったと言われたので、視察研修にあたりT子さんの話を交えて文を進めていきたいと思います。
バスで安部倉の地について視察研修が始まり、藤井靜一氏の活動拠点である済世会館を見学した。モダンな建物であるが、T子さん曰く昭和10年代ころ地域の嫁入り前に子女にお茶やお花のけいこを教えてもらったところで、当時は木造の古い家であったとのこと。今は地区のコミュニティハウス・公会堂みたいな場所である。
次に坂道を上り自宅跡地を見学した。安部倉地区町内会長遠藤氏によると、草茫茫の200坪余りの土地を安部倉町内会25軒でユンボ2台を持ってきれいに整地作業をしたとのこと。町内会の団結力の強さがうかがわれた。
次に長い坂道を上り松尾神社境内へ藤井氏の済世事業を顕彰する、元岡山県知事笠井信一の文章が刻まれた済世記念碑を見学した。そして険しい山道約50mを経て、晩年の藤井氏が暮らした済世庵に着いた。
藤井氏は日連宗の信仰が厚く、庵にお堂を設けT子さんたちはいつも学校の行き帰りはお堂の前で手を合わせていた。時にはお堂で子ども達にお菓子が振舞われたことから度々お菓子をもらいに行ったとか。お菓子は高松稲荷のゆずせんべいであった。地元の大地主でもある藤井氏は田畑の他、山林も所有しており当時岡山は有名な松茸産地であったのでマツタケ山でもあった、当時高松稲荷の駅から自分の土地を通って家に帰れたとのこと。藤井氏は自分の財力の3分の1を自分の生活のため、残り3分の2は済世事業につぎこんだとのことである。
岡山空港ができるにあたって、町内の山道が簡易舗装化されよくなったと安部倉町内会長遠藤喜久氏は述べている。
この度の視察研修では、北区北福祉区民生委員児童委員協議会の福田眞紀会長はじめ、多くの民生委員の方に、大変お世話になりました。厚くお礼申し上げます。(西地区 民生委員児童委員協議会 会長 黒住健治)